ずっと気になっていた場所
これを発見したのは高校2年生のころ。
朝、電車の窓から外をボーっと眺めていると、安倍川鉄橋を越えた辺りで、新幹線の線路の下に「西武鉄道」という文字が見えるんです。ハッ!?西武鉄道!?と思ってよく見ようとするころには、もう視界から消えてしまってます。
確かに西武鉄道は存在するけど、静岡は全く関係ないはず。
何故あの場所に「西武鉄道」と書いてあるのでしょうか。
ずっと気になって仕方なかったこの謎を解き明かすべく、今日、現地へと向かいました。近づいてみると、やっぱり「西武鉄道線路橋」と書いてありました。
遠くからみると、この場所、昔、鉄道が通っていたようにも見えます。
かつて、西武鉄道は静岡にも路線を持っていたのでしょうか。いやいやそんな話聞いたこともありません。
結局これ以上のことはわからず、調査終了。
家に帰ってからネットで調べると、かつてこの辺りに「西武建設」なる建設会社が存在し、その引き込み線が通っていたらしいということがわかりました。一体どこからどこまで、どのように配線されていたのか、謎は深まるばかり…。
面白い記事を発見し興味深く読ませてもらいました。
静岡に残る西武鉄道の線路の事で解る範囲でお答えします。
昭和30年代に西武で安倍川筋で砂利の採取→販売を行っていました。市内各所に工場が有りました。現在の安倍川左岸最下流部に中島工場が昭和50年代の中頃まで稼動していました。(現在静岡市の中島処理場がある所)です。
そこから砂利運搬用の鉄道があったと聞いています。
東海道線を高架事業した時代(新幹線の開通)時期にこの構造物は作られたと思います。
現在の南安倍・緑ヶ丘近辺(安倍川左岸)は西武の土地があり、砂利ストックヤードだった聞いています。
以上、わかる範囲で説明です、参考にしていただけると嬉しいです。