あまりにも恐ろしすぎる鉄道事故
今日、学校・予備校帰り(21時45分頃)に静岡駅で、新幹線の改札口に
「JR福知山線 塚口〜尼崎間 9時18分より運転見合わせ」
と書かれているのを見て、12時間も止まってるのか・・・何が起こったんだろう、と気になっていた。
そして家についてテレビをつけ、唖然とした。
映し出されていたのは、ペシャンコにつぶれた車両の屋根。そして、テロップには「JR史上最大の事故。死者50人」と出ていた。
ニュースの途中から見たから、一体何が起こってどうなったのか、さっぱりわからなかったが、約1時間半、テレビに見入って、ようやく何が起こったのかがわかってきたばかりだけど、まだ信じられない気分でいっぱいだ。
鉄道事故と聞くと、一番最初に思いつくのが「人身事故」だ。これは、全国で多発している、防ぎようのない事故なので仕方がない。次に、去年はJR東海 飯田線でも発生した列車転覆事故。2年前には、九州で特急「つばめ」が田んぼに突っ込んだこともあったが、いずれも死者は出なかった。また、新幹線は、あれだけ高速かつ過密にもかかわらず、全く事故が起こらない。これは管理システムが非常にすぐれているからだと言われている。そういうことから、自分の中に「鉄道は環境にやさしく、しかも安全」という固定観念ができていた。それだけに、今回の事故は、非常にショックを受ける出来事となった。
まだ事故の詳しい原因がわからないのに、あれこれというのはどうかと思うが、少なくとも、速度超過が1つの原因であることは確かだと思う。あるニュースでは、「列車ダイヤの遅れが、そのまま運転士のスキルとみなされる。」と報じていた。運転士は、伊丹駅で作った1分30秒の遅れを取り戻すべく、慌てていたのだろう。この気持ちは、電車でGO!等をやるとよくわかるかもしれない。あれらのシュミレーターは、遅延が発生すると、持ち時間(ポイント)が減っていく仕組みになっている。だから、前の駅で遅れを作ると、そこから次の駅までの区間は、できる限り遅れを回復しなければならないという気持ちになってしまうのだ。しかし、実際の電車ともなると、自分のスキルだけを考えるわけにはいかない。自分が何百人もの人々の命を背負ってる、そういう責任感がなければならなかいはずだ。今回、運転士にそういう気持ちはあったのだろうか。それとも、単に自分のスキルの意識が先行して、安全を無視したのだろうか。
そして、もう一つ驚いたのが、ビルに張り付くようにしてつぶれた車両だ。最近はステンレス製車両が流行りだが、あれほどにも強度が弱いとは思わなかった。軽いことは、省エネなどの面でも有利かもしれないが、さすがに強度を弱くしすぎてはいないだろうか。今回の事故がかなり例外的なものであるとは思うが、加速性や省エネばかりを追い続けて、肝心の「安全」が見捨てられるような車両設計はするべきではないと思う。
この2時間ほどの間にも、死者は6人ほど増えてしまった。本当に家族の人たちも含め、気の毒というか、、、自分がこの立場にいると考えると眠れなくなりそうなほどゾッとした。毎日鉄道を利用している以上、決して他人事ではないはずだ。(もちろん、鉄道だけが事故を起こすわけではなく、生きている以上、様々なキケンと常にとなりあっているわけだが・・・)亡くなった方の冥福を祈り、負傷者の回復を祈り、早期の原因解明と対策、また、昨今頻発している鉄道事故、飛行機事故などに関して、もう一度、事業者が「乗客の命を背負っている」という意識を持ち、「安全」を最優先にして見直しを行う必要があると思う。
JR東海 静岡支社でも、早速、危険箇所の再確認をおこなうようだ。先日は沼津駅で脱線事故が発生したばかりなので、細かい場所も含めた安全追求を徹底してほしいところである。